中島義道

書店をフラフラしていたら哲学者・中島義道の新刊『観念的生活』を見つけた。
なかをパラパラ見ていたら次の文章が目に止まった。

『トニオ・クレーゲル』の中で、トーマス・マンはトニオに次のように語らせている。「春にはよい仕事ができない、確かにそうですが、なぜなのか? 感じるからなんです。創造する者は感じてもいいなんて考えるのは、拙い仕事しかできない輩の言い草ですよ」(拙訳)。これはマンの芸術観であって、詩人とは感じるままに書く者ではなく、「なまの感じ」を言語における「あるべき感じ」へと精確に変容して書く者である。この少し後に続く台詞が、このことを明らかにしている。「われわれは何らか人間外の者、非人間的な者であることが必要なんです。……芸術家は人間になって感じ始めたら、たちまち芸術家ではなくなってしまう」(拙訳)。

これを読んで、詩人を写真家に置き換えても同じだと思った。
「なまの感じ」から「あるべき感じ」へ。
ここの訳は中島自身によるものだが、既存の訳はどんな感じか見てみた。

岩波文庫、実吉捷郎訳
「春は仕事がしにくい。その通りです。が、なぜでしょう。われわれが感ずるからです。そして創作する者は感じても差支えないと思うような人は、へっぽこだからです。」「われわれは超人間的でまた非人間的なところがなければ、……芸術家は人間になったら、そして感じ始めたら、たちまちもうおしまいだ。」

新潮文庫高橋義孝
「春は仕事がやりにくい。これは確かだ。ではなぜなんでしょう。感ずるからですよ。それから、創造する人間は感じてもいいなんて思いこんでいる奴は大馬鹿者だからですよ。」「われわれ自身が何か超人間的な、非人間的なものになっていなければならないし、……芸術家は、人間になって、感じ始めると、もうおしまいです。」

どの訳も面白い。
で、三冊とも買ってしまいました。

観念的生活

観念的生活