残るもの

写真に心が写るか、ということ。
それは見る側の問題であって、写真に心という見えないものが写るわけがない。写るという意見はセンチメンタルすぎる。という考えがある。
これは少し短絡的すぎないだろうか。
ひとつの写真が成立するとき、構図は誰が決めたのか、いつシャッターが切られたのか、、カラーかモノクロか、ピントはどうした、レンズは・・・といういくつもの選択肢があり、それはその都度あるひとつに決められている。そこに撮る者の意図と意志が付け加わらないか。究極の選択は、なぜこのカットであり、あのカットではないのか。
という写真を撮るという行為を考えてくると、撮る者の心が写らないわけがないと思えてくる。写らないという考えは、写真=真を写すものという日本におけるある種の誤解の言い換えではないのか。
これらの議論で心とは何かという前提が不透明のため、議論もぼやけてしまう可能性があるが、写真というひとつのモノが残っているということは決して偶然ではない。