世界へ

「新潮」9月号のなかで水島美苗がこんなことを書いている。

書くという行為は、私たちの目のまえにある世界、私たちを取り巻く世界、今、ここにある世界の外へ外へと、私たちの言葉を届かせることです。


これは写真にも当てはまる。身内の中で流通すればOKな写真がなんと多いことか。自分の表現しているものを見知らぬ人に提示する。それが第一歩のはずだが、その自覚がない。世界が見えていない。
ここまで書いて日本代表のサッカーにも当てはまるな思った。自分たちしか見ていないから、どんなプレーが世界で通用するのかあるいはしないのかわかっていない。わかっていないから努力もできない。つまり世界が見えていない、見ていない、見ようとしていない。こんな状況が続くと、今回のW杯は出場できると思うが次は無理かもしれない。などと思ってしまう。