3,000円のポストカード

石炭の中からダイヤモンドを探す――それはあり得ない。
なぜなら作者がすでに3,000円というふうに作品の価値を決めてしまっているからだ。
売り手が提示した価格以上で購入する買い手はマーケットに存在しない。
3,000円の作品はそれだけの価値しかなく、実は売り手も買い手もそれは承知しているはずだ。
売り手は「その程度」の作品しか出さない。
買い手は「その程度」の扱いしかしない。
ものすごく手をかけた作品を3,000円で売ろうとするだろうか。
3,000円で買った作品をすでに持っている一桁以上も高い作品と同列に扱うだろうか。
「写真を買ってみましょう」と言うが、所詮それは3,000円のポストカードでしかない。
ポストカードとはお手軽に写真を楽しめる大量複製されたものである。
同じものとして浮世絵がある。役者のポートレートを自分のところで楽しみたいという欲求に応えたものだ。
主催者はそのポストカードが浮世絵のようにいつかは何十倍もの価格になると思っているのだろうか。
それともそういう感覚で自分の写真をこれまで撮ってきたのだろうか。
大量複製を前提としたモノづくりにおいて、それら個々のものを作品とは言わない。
「作品」とは何らかの形でその中に作者が存在するものだ。