「ない」ということをいくら積み上げても「ある」ということの説明にはならない。



メモ

五人分の話をまとめて、ひとつ確実に理解したのは、今まで自分が、その場所や被写体から何かの気配が発せられているのだと感じて写したもののほとんどが、実は、自分の中にある感情のエコーにすぎなかった、ということです。エコー、いわゆる反射。ある風景から、もの悲しい気配を感じて撮っていたつもりが、それは、実は自分の中にあるそういった感情を風景にぶつけていて、その反射を感じて撮っているのにすぎない、ということです。そんなひとりよがりなものを他人に見せたところで、だからどうしたと言われるのがオチです。

まあ、つまり、きちんと見て、こだわりを捨てて素直に撮れ、ということです。